三宅島新報 第2号
2006/03/01
三宅島新報 第2号:付録
火山市民ネット第3回フォーラム東京大会:「三宅島の復興を考える」の記録(一部)
平成16年8月28日 全労災ホールにて
●フォーラムのパネラー
木村 拓郎(社会安全研究所長、コーディネーター)
廣井 脩 (東京大学 教授)
伊藤 和明(元NHK 解説委員)
福崎 博孝(弁護士 長崎県)
大町 辰朗(NPO 島原普賢会 理事長)
白井 祐輔(NPO 洞爺にぎわいネットワ―ク 理事長)
佐藤 就之(三宅島民連絡会 会長)
●帰島・復興に向けた要望は
当面は、
- 火山ガス・泥流と水道水・配電・汚水処理等の生活面の安全対策。
- 家屋、事業所、畑等の復旧・復興支援策。
- 産業復興、雇用、生活費支援、村の災害保護特別事業の継続等の対策。
- 医療、高齢者の支援策。
- 子どもの教育と心のケア。
- 行政の対話と説明責任で「安心」と「心の復興」の推進策。
- 帰島出来ない人または留保している人に対する住居、福祉施設保障、義援金配分の公平性等支援策の7点が重要と考える。
●三宅島復興の課題
(佐藤) 最後に「帰島、復興に向けた要望 はというところまでまとめてありますが、実 はこれらは、島民連絡会の毎月1回やっている会議で意見が出された上での話しなので、さっと読み上げます。1つは、火山ガスと泥流、これについての安全対策は盛んにいわれるわけですが、水道水、配電、汚水処理等々の生活面の安全対策は果たしてどうなっているのか。やはりこれもきちんとしなければいけないのではないかということが強く出ています。
2つ目は、家屋、事業所、畑等の復旧、復興事業策、これはこれから灰を取る問題とか、山林を整備する問題などで予算が付く話です。これを親切に1つ説明をいただいて収入のもとにしていける。その策が取られる必要があると思います。3番目は産業復興、雇用。雇用と併せて生活費の支給、支援ですね。私は相当これは何年も議論が続くと思いますが、特に今度の全島避難指示、そして来年の2月に避難指示解除ということになりますと、被災地としての保護政策はいったいどうなるのかと。
まだまだガスが出て、マスクをして逃げまとうという生活がある。また一部は入れないというときに避難解除してしまったら、果たして今まであった保護政策、そういう支援策というものはどうなるのか。私はやはり継続するべきところは継続する。まだ被災地だということをはっきりと私たちが主張していかなければいけないのではないか。解除と一緒になってこれが2月に打ち切られてくると非常に大きな犠牲が出ると思います。
例えばすぐできること災害保護特別事業の継続、それから住宅の保障などいろいろ出てくると思います。あと4番目が何といっても医療等、高齢者の支援策です。東京にもおそらくデイケアを三宅島島民のために一時的につくらないと、島では収容しきれないのではないかという意見が出ております。また、子供の教育と心のケア。せっかく4年間でお友達ができたのが、また再び切り離されるということになります。
そういうことをするのだったらここにとどまって、卒業するまで帰らないでいたいという若いお母さん方の声はたくさん聞きます。4番目、行政の対話と説明責任で安心と心の復興の推進策。これは神戸などでもこのように行政が説明をしたり対話の場所を開いてくれれば、生きる意欲、目標がたち、ノイローゼになったり、ストレスがたまったりしないで、生きる意欲が出てくる。
これはもう行政の1つの施策の範囲でもあるということがこの前、神戸でもアンケートで出ています。もう10年たちますね。それでもそういう話が出ています。それから7番目、帰島できない人または保留している人に対する住居、福祉施設保障。先ほど言った話ですね。それから義援金配分の公平性など、支援策の7点が重要だということで今のところ考えています。
そして2つほど付け加えたいと思います。1つは、平野村長は私たちの声を聞いて一斉帰島を決断をいたしました。これは明らかにこの前の選挙によって、今まであまり聞くことのできなかった多くの島民の声を直接村長が聞いて決断をなされたものと思います。要するに島民の声を直接聞く。また、島民に直接説明をする。対話と説明責任というものを果たし、活発にしていかないと私は島に帰った後の復興は難しいと思います。
その点は、平野村長が決断をした帰島、これの政治姿勢を帰島後も貫いていただきたいと思います。行政出身の方はどうしてもやることがお上的に上意下達の方法に、退職した後もなるのがだいたい常です。私が聞いていてもそうです。お役人でなくなったにもかかわらずお役人の擁護、代弁ばかりしている人もたくさんいるのを聞いて、住民代表にもかかわらず「だめだよ」と私は注意したほどです。
従って私たちが選んだ村長ですから、私たちの声に耳を傾けてもらう。そして行政をやってもらう。もう1つ重要なことは、帰島して私たちが帰った後、先ほど言いましたようにまだガスがある災害地でありますから、この災害地の私たちの島での生活を全国にどのように発信をしていくか。
このような支援、運動が必要です。さあ、皆さん、私たちはこうやって生きていますから、安心して島に来て観光をやってください。若干リスクがあったり、アドベンチャーがあったりして、空襲警報みたいにウーと鳴って逃げたりする。これもまた1つの自然災害に対する勉強ではないですか。海はどんどん魚も増えました。緑も、山や木は枯れていますけれども下草はどんどん元気よく出ています。
こういうようなことを私たちが全国に発信をして、やはり村の復興というものをやっていく。その努力を私たち島民自身がやらないといけないと思います。その点では、今日おみえになっている大町さんや白井さんのように中堅のリーダーが必要です。私のように数え年70歳の隠居の人が声を高くして言うのではなくて、島の青年実業家がこういう壇上に来て全国に赴いて三宅島の安全と復興、お客を呼び寄せる努力、産業復興する努力、1つぜひ経済団体の若きリーダーは島の中に閉じこもらないで努力をこれからしていただきたいと思います。
私はそういう点では、そういう人たちにぜひバトンタッチをしていただきたいと思っていますので、1つこの席を借りまして島民の皆さんに喚起をしてお互いにそういう人たちの支援をし、足を引っ張らないで応援していこうではありませんか。その点が最後のまとめみたいな感想としては感じることであります。
●今後の火山防災に向けて
(木村) 今お聞きの通りで、やはりもう4年という避難生活の長期化、長くなれば長くなるほど課題もそれだけ増えているということなのかと思います。非常に短時間であれば課題も数も少なく、やはりそれに立ち上がりも早い。ですから、時間がかかればかかるほど、あとの後遺症も非常に大きくなるのだろうという感じが、今の佐藤さんのお話から伺えたのではないかと思います。(略)
(伊藤) これは日本には108も活火山があるということなのですが、火山にはそれぞれ個性があるのです。火山それぞれによって異なったタイプの噴火をする。ところが、1つの火山でも時によって違うタイプの噴火をすることがあります。富士山の宝永噴火などというのはその典型的なものですが、最近の例を見ても本当に思いもかけないことばかり起きている。
例えば1986年の伊豆大島、これは560年以上も起きていなかった割れ目噴火が起きてしまったのです。それから91年の雲仙岳の噴火は火砕流。雲仙は歴史時代に1663年と1792年に噴火しているのですが、いずれも火砕流は出ていない。ところが今回は思いがけなくと言っていいかどうか分かりませんけれども、溶岩ドームができて、それが崩れて火砕流が起きるという、これも本当に歴史時代では初めてのことが起きましたね。
三宅島も先ほどお話ししたように山頂噴火というような、本当に歴史時代初めて起きるということで、本当に火山というのはそのときによって異なったタイプの噴火をするということを想定して、何をやらなければいけないかというとやはりハザードマップの整備だと思います。日本の主要火山だいたい30ぐらいはハザードマップ、ほとんど整備が終わりました。
一番消極的だった富士山がやっとこの間できて発表されましたけれども、ただ、三宅島の場合も実はこのハザードマップを十数年前に作ったのです。これは下鶴大輔さんが委員長をやって、私も委員をやっていたのですが、これは今は通用しないのです。すっかり変わってしまったわけですから、地形も変わりましたし。ですから、これは新しいハザードマップを作っていかなければいけない。
もうすでに泥流についてはある程度、簡単なものですけれども砂防・地すべりセンター、技術センターあたりが作ったのがありますけれども、やはり次の噴火に備えたマップを作る、これが早急の課題になっていくのではないかと。というのは、三宅島というのは先ほどからお話にあるように20年ごとぐらいに噴火をしているわけですから、もうあと十数年すれば次の噴火を迎えるわけですので、そのときに備えたマップ作りというのが大事です。
しかも、それは島民の方々に理解しやすいものでなければいけない。島民の方々が理解できなかったら、これでは絵に描いたもちになってしまうということですので、島民の皆さんがそういう自分たちがお住まいになっているところがどういう環境にあるのかという環境認識をできるようなマップを作っていくというのは、私は非常に大切なのではないかと思っています。
(木村) 三宅の場合で行くと今回の噴火は2,500年ぶりですか、というふうな異常な噴火というか、あまり過去になかった噴火です。今回の噴火を踏まえて、おそらく今後どういう火山活動をするのかというのはやはり大事な課題になってくると思うので、そういう意味で今、伊藤さんの方から、帰島ということはあるけれども一方で、その先はどうなのというのを考えないといけないのではないかというご指摘かなと思いました。それでは福崎さん、少し今後制度面的なことに向けて何か助言をいただければと思います。
(福崎) 伊藤先生が、火山には個性があるとおっしゃっていたのですが、実を言うと被害にも個性があるのです。ということは、被害救済、被害対策、そういうものについてはそれぞれの地域で個性を持ってやらなくてはいけないというのが、たぶん今から先ずっと続く原則だろうと思います。神戸の震災、島原の噴火、有珠の噴火、今回のそれこそ離島の三宅の噴火、救済策というのはそれぞれの地域のいろいろな職業の人たちがどれぐらいいるかによって、全然違ってくるということをきちんと考えておく必要がある。
それに一番対応できるのは何かというと、実を言うと基金だろうと思います。これが一番対応できる。これについて昔、島原の噴火災害のときに県の幹部から、日弁連で意見書を作るときに忠告を受けたことがあります。基金を法律上の、要するに国の制度としてつくるべきだという提言をするときに、提言するのであれば絶対に地元に実権を与えるような制度にしてくれと。
要するに基金という形を取ることによって、霞ヶ関の手から離れさせる。要するに地元で自由にできる、融通無碍に動かせるという、それがないとほとんど基金の意味がない。これはまさに被災にはいろいろな顔がある。だから被災対策にはいろいろな方法が必要だと。これとまさにリンクするのです。ですから、このことを十分に考えておく必要がありますから、やはり基金を何とかすべきだろうと。
それともう1つは、自らの置かれている立場、有利なところがございます。三宅島は離島で、離島の災害というのは大変だ。本当の東京都から離れて大変だというようなことで周りは思うかもしれませんが、商売人よりももしかしたら農業者、漁業者が多いということになりますと、日本の法制度は農業者、漁業者には実を言うと手厚い。しかも、離島振興法の適用があるとなると、離島には手厚い。何を言いたいのか。もともと日本という国はもともとある制度に上乗せをすることは比較的簡単にしてくれるところなのです。
ですから、自分たちの持っている有利な立場をいかに利用するのかと。これはまさに平野村長の仕事になってくると思いますけれども、新しいものをつくるのは嫌がります。しかし、すでにあるものに量的な上乗せをするというのは比較的簡単だということをきちんと頭に置いておいて、行政でできることところは行政でやる。基金でしかできないところは基金でやる。この仕分けをきちんとやる必要があるのではなかろうかと思います。
その上で個人に対する金銭の供与、先ほど言いましたような住宅再建支援金など、そういうものについてはやはりちょっと思い切って鳥取県の知事みたいな発想を考える。こういう方法しかないのではないかと私は思っております。
(木村) だんだん今日のフォーラムの結論めいた話になってきましたが、おそらく廣井先生が最後まとめていただけるのではないかと思いますので。先生、お願いします。
(廣井) 安全対策と、それから今回の福崎さんの復興の問題と分けて言いたいと思いますが、先ほどの安全対策については佐藤さんの指摘が大変大事なのです。避難勧告が解除されたということは、安全になったという意味ではないわけです。大島の場合は全島避難、そして避難勧告が解除。これでもう災害は一応終わりだったわけですけれども、三宅の場合はまだ残っているわけですね。
そこで火山ガスの危険地帯は、地域内、島内の一部ですが、そこは避難は解除してはいけない。やはり避難勧告地域として残しておくことが大事ですね。つまり避難が継続しているのだというシンボル的な意味もあるし、住民の安全という意味もありますね。それが1つ。もう1つは、これもまた佐藤さんの指摘で重要なのですが、いろいろな事情があってすぐには帰れない。いずれは帰るかもしれないけれども、すぐには帰れない。
こういう人たちもまだ災害が続いているわけですから、例えば都営住宅は有料になるということでは困るわけです。ですから、二月に一応いったんは帰るけれども、災害はまだ終わってないよということが基本的な認識です。そして、火山ガスの危険地帯は避難勧告地域として残しておいて、センサー等々の安全対策を取る。それからもう1つ、泥流対策ですけれども、これは実は私も東京都の河川関係ですけれども、土砂災害対策委員会の委員に入っていますが、砂防ダムがたくさん出来ている。
毎年毎年、ハザードマップを作っています。砂防ダムが出来るからだんだん危険地域が減っているのですが、現に私も持っています。工事の方はそれを持って工事している。これは帰島の時には島民の方々全員に配るという。もっと早く公表したらといっているのですが、それは公表しないで帰島の際に配るということなので、ぜひこのハザードマップをご覧になって、自分のところはいったい安全なのかどうかをあらかじめ知っておく。
それから警報の基準雨量も変わっていますから、警報はしばしば出やすくなります。しかし、面倒くさがらないで、警報が出たら避難をすること。これは大事ですね。つまりまだ終わっていないのだという認識は、これは三宅の人たちだけではなくて全国にもまだアピールする必要があるということが1つです。復興に関してはやはり福崎さんの言うように基金なのです。
この作ってくれた61ページの表を見ると、農業支援と漁業支援とありますけれども。雲仙の場合は重要なもの、特に貸すのではなくて助成するというのもほとんど基金でやっていますよね。北海道は若干は道の金としてやっている。東京の場合はどうかというと、大体利子補給や長期低利の融資ということですよね。基金があるかないかによって対応策がものすごく違う。
しかし、今、基金を作れといってもなかなか難しいというのも1つの問題です。それから農業と漁業は支援策は大変多い。ここに書かれているほかに共済制度がありますから、かなりそういうもので救われているわけですね。ところが、白井さんのような二次産業、三次産業のいわゆる企業に対する支援策というのは、雲仙も有珠も三宅も総体的に非常に少ないですよね。
雲仙の場合は基金も多少使っていますが、やはりこういう企業に対する支援をいったいどうするかということが問題ですよね。基金があればできるけど、それがないからできない。私は、解決策は2つあると思います1つは、農業は漁業と同じように共済制度や保険など,今の地震保険は一般家庭にしか適用されませんけれども、保険や中小企業というか、第二次産業、第三次産業を対象とした支援の制度を積極的につくっていくということが1つ大事だと思います。
しかし、三宅の場合はもうそんなことを言っても間に合わないわけで、何とかしなければいけない。そこで、これは復興計画の中にも議論されていたと思いますけれども、宝くじ、あるいは寄付金付き切手など、そのようなことを提案されていますよね。あれは文章で提案するだけではだめなので、当然動かなければいけませんよね。押すところを押せば、宝くじも可能かもしれない。
私は実際、東京都に打診してみたらあまりいい返事はもらえませんでした。しかし、それはやり方によっては可能かもしれない。前にお話ししたかもしれませんが、阪神大震災の兵庫県は250億円を宝くじのお金で調達していますよね。そんなに調達できないとしても、多少はいくかもしれない。それから切手の寄付金、競輪競馬のお金、いろいろなものを使って、これも考えるだけではなくて、もう動かなければだめだと。
とにかくいろいろなところにいろいろなコネを頼って働きかけて、とにかく島に帰った少なくとも数年くらいの間は、本当に困ったときに公的なお金でない形のお金を調達できるストックを蓄えておく必要があると。義援金を再び募集してもどれだけ来るかということはちょっと現実味がないので、宝くじなんかをどんどんやるべきだと思います。
ですから、ぜひ村長さんはもういらっしゃらないいかもしれないけど、いろいろな難しい問題はあるかもしれませんが、東京都が帰島するときにお土産をくれるよというなら別ですけれども、お土産をもしもくれないとしたら、やはり自分たちで道を切り開かなければと思うので、ぜひそういう現行の仕組みでできるようなものを、口ではなくて実行力を持ってやってほしいと思います。
●三宅島民へのメッセージ
(木村) お三方から非常に貴重な提言をいただきました。それでは一番最後を締める前に、白井さんと大町さんから三宅に応援の一言をいただきたいのですが、まず白井さんから一言。
(白井) 来年二月に帰島するということで、相当大変だと思う。でも、やはり自分のところへ帰る、自分のうちを何とかする、自分のところを何とか、そういう思いだけでも、何年かするとないでくるというところがありますけれども、強く意思を持って何とか復興するのだということで頑張ってください。
(木村) ありがとうございます。大町さん。
(大町) 私も島民ふれあい集会に参加させてもらって、そこでいった言葉、とにかく組織をつくってくださいということでお話したと思います。その組織ができ、こうゆうふうな格好で復興活動を島民連絡会というような格好でなされていると。これが今度、帰島する、島に帰ると。島に帰る前、これが本当にまた苦しみがもっと、分からないような苦しみが生まれてくると私は考えます。この苦しみを乗り越えて、今度皆さんが帰ら後にまた来年、今度は本当の三宅島でこのフォーラムをしたいと考えます。頑張ってください(拍手)。(以下略)