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噴火24年目の雑感
2024/01/12

2000年(平成12年) 三宅島の噴火災害から24年目に入ります。   

2000年6月26日 緊急火山情報発令

同7月8日 雄山噴火 噴煙高さ800m

同8月18日 最大規模噴火

同9月2~4日 全島避難

2002年4月5日 三宅島島民連絡会結成(会長 佐藤就之)

2005年(平成17年)2月1日 避難指示解除・高濃度地区公示

同1月 三宅島島民連絡会解散決定

同4月1日 三宅島ふるさと再生ネットワーク結成(会長 佐藤就之)

      

2015年(平成27年) 10年間にわたる高濃度地区をすべて解除 

 

※行政ご用達の専門家と称する三宅島安全確保対策専門家会議の面々に三宅島現場無視と当該島民の要望無視に苦しみ、帰りたくても帰れない在京島民を多数作る。

そして帰島島民も事業所崩壊、家屋等資産を失う事態となり再起を困難にした。 

 

※避難中に経験した忘れることができない二つの事例を記しておきたい。

 

その1

2002年三宅島島民連絡会が結成された世話人役員と当時の長谷川村長に面会し挨拶と今後頻繁に対話をすることを要請した。
その席で長谷川村長は連絡会ができたことを歓迎し頻繁に話し合うことを表明して終わった。
しかし後日、三宅役場内の管理職から苦情が出て、長谷川村長の約束は反故とされ島民から疎遠となり、都や専門家の言いなりになってしまったとの話が伝わってきた。​

 

その2

2002年(平成14年)10月15日 火山噴火予知連絡会は「平成12年10月頃の最盛期と比べると1/6程度になっている。火山ガスの放出量は大局的に低下していくものと考えられる。
風下に当たる地区では引き続き火山ガスによる警戒が必要」と発表した。(東京都三宅支庁 管内概要 令和5年版参考)

 

これを受けて長谷川村長は三宅島の季節風や気候を誰よりも承知しているので、東京新聞記者に帰島は部分的、段階的に進めたいと話し記事となった。

 

これを見た石原都知事が村長に責任が取れるのかと「恫喝?」したとの伝聞。
島民の切望した帰島は残念ながら頓挫してしまった。
帰島については、桜島・雲仙を経験している某大学教授も帰島できると公表した。

 

島民は、三宅島の家屋、事業所・商品、別荘などがシロアリ、ネズミ、イタチ被害と雨漏りなどで崩壊し生活基盤が無くなるギリギリの事態であることをよくしていて、大喜びであったが一喝で夢とかした。


石原都知事とは、米軍艦載機練習飛行場三宅島誘致(NLP)に島挙げての反対運動以降そりが合わなかったが青山副知事の三宅島担当により何かと救われ感謝している。

 

2022年(令和4年)7月12日 雄山体験登山開始(島民限定)

 

※雄山のマグマの蓄積が進んでいるので警戒は必要と予知連 警戒レベル1 火山であることを留意

 

 

 

 三宅島ふるさと再生ネットワーク
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