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TBSラジオ「永六輔の土曜ワイド」
2009/01/20

ラジオ出演とその内容

TBSラジオ「永六輔の土曜ワイド」に

2009年1月17日(土)午前11:30~

 

佐藤 「9年にわたる三宅島の噴火災害がまだこういう被災者の立場の人が多くいるということは、ぜひ皆さん方ご理解いただいて、これに対するさまざまなご支援策を考えていただきたいと思います」

 

司会 外山 きょうは阪神淡路大震災からちょうど14年。被災地や全国各地で震災について考える取り組みが開かれています。一方、2000年に噴火を起こした東京の三宅島ですが、今でも島に戻れない人たちへのアンケートの内容が、今週木曜日発表されました。神戸や三宅島から考えます。
崎山記者です。

 

崎山 よろしくお願いします。今、しゃべっていらっしゃったのはそのアンケートをとった三宅島ふるさと再生ネットワークという活動している団体の佐藤就之会長の声なんです。三宅島、2000年に噴火して、当時は全島で、全住民が避難していたわけです。2005年になって全島避難が解除された。三宅島は行政区分としては三宅村なんですけれども、その時点で三宅村の住民は3,000人ほどいたんです。ところが、それからちょうど5年目に入るわけなんですけれども、およそ1,000人が島に帰っていないと。島に戻らないと決めた人ももちろんいるとは思うのですが、帰りたくても帰れないという人が多いのです。

 

司会 外山 その理由は?

 

崎山 理由もいろいろあるのですが、例えば高齢のご夫婦、もしくは高齢のひとり暮らしの方。三宅の島のほうには家がある、あってできればまたもとのところに戻って住みたいと思っていても、現実に収入があまりないとか、そういう状況で家の修繕にお金がかかってできない。なのでとりあえずあきらめているとか、あるいは自分の健康問題です。三宅島は医療体制が十分とは言えない中、東京にいたほうが自分の病気はきちんと診ることができるのではないかということで帰れない方。また、火山ガスの放出が9年たっても続いているので、実は島の45%は高濃度地区というところに指定されていて、今でも立ち入りが制限されているのです。島の別の地区に住んでいる人もいるのですが、東京にいる人も、それはいろいろなのですけれども、そもそも住みたくても住めない地区がまだあるんです。それから、子供を持っている方なんかは火山ガスが続いているので健康への影響もあるし、あるいはお父さんだけは単身赴任状態で三宅島に戻って仕事をして、お母さんと子供は今でもまだ東京に住んでいるとか、本当にいろいろな例があるのです。
今回、三宅島ふるさと再生ネットワークは帰れない人を対象にしたアンケートと高濃度地区に関するアンケート、2つを去年実施しまして、今週の木曜日に発表したのです。帰れない人対象のアンケートは48世帯から回答があった。回答世帯の75%が60歳以上。高齢化が進んでいるし、ひとり暮らしが3割弱。無職の方が7割弱。つまり、収入的にも厳しい状態にあるし、ひとり暮らしということで環境が非常に厳しい状態に住んでいる。困っていることは何かというと、やはり健康問題が多いんです。要するに、例えば回答を見ると、難病にかかっているので島に戻っても病院通いがうまくいかないかもしれないとか、そういった不安を訴える方もいますし、先ほどお金がかかるから帰れないという方がいましたけれども、やはり答えた方、4割強困っていると。例えば土地とか家とか墓とか、島にあるものがすべて結局税金とか、あるいは中には電気水道代なんかもかかるものもあります。そうすると結局、東京にいるのに、全く使えていないのにそういったお金も払わなくてはいけないものも中にはある。それは負の遺産になっていると訴える方もいます。あと、三宅島にそんなに簡単に行きたいといってもお金もかかると。だから、そう簡単に島での生活の再建と東京での今の生活、両方を置くということができないとか、全部は紹介できないのですけれども、9年たっても随分昔のニュースのように思えるかも知れませんけれども、今でも非常にこういう生の切実な声というのはあるんです。

 

司会 外山 もう帰らない人って今聞いていると、やはり帰りたいけれどもいろいろあるから帰れないからあきらめようと思っている人が多いみたいな感じがします。

 

崎山 でも、結局あきらめ切れない方も多いようです。つまり、現実問題は帰れないかもしれないけれども、アンケートだと回答世帯のおよそ半分、52%の方がいずれは帰りたいと。現実に果たして帰れるか、あるいはもうあきらめなければいけないような状況にあるかということは別として、帰りたいという希望を持っているんです。
あと、ガスの高濃度地区のほうもいろいろ問題を抱えていて、発表した佐藤会長によると、そのガスの地区というのは空港とか農業の中心となっている地区があるんです。だから、観光とか農業とか三宅島の産業の復興がなかなか進まない。島の45%が立ち入りとか簡単にできないような地区になってしまっているわけなので、島自体が人が戻らないということも大変なことですけれども、そもそも産業を復興させたくてもできないというような状況にあるのです。

 

司会 外山 でも、意外です。私、こうやって今戻れない人たちの中でも、絶対に帰りたいだろうなと思っていたんですけれども、半分ぐらいなんですね。「帰りたい」と答えている人たちは。

 

崎山 そうですね。でも、それは逆に言うと、例えばこちらに拠点を持ってしまったという人もいるわけです。あるいはご夫婦で避難されて来たのだけれども、子供さんはもともと東京にいると。それでご夫婦のうちどちらかが亡くなられてしまわれて、もう子供さんに頼らなければいけないとか。だから、変な言い方ですけれども、佐藤会長も正月にみんなで島に帰るのが昔は普通だった、東京に出てきている子供たちも。逆に今は、正月に家族が一緒になるために、島の人たちが東京に帰る。そういう状況になりかけていると。そうなると、もちろん2,000人ぐらいの人は三宅島に帰っているのですけれども、このままでは島としてなかなか復興というのはおぼつかないのではないかということなんです。でも、これは帰りたいという希望を持っていたはずなんだけれども、もう現状がそうさせないという方も含まれると思うんです。もう帰りたいという希望を失くしてしまった方も。
だから、こうやって火山とうまくつき合いながら復興できるかどうかというのは、結局、周りが被災者の立場の人が三宅島には大勢いるんだよ、あるいは東京に大勢いるんだよと、島ではなくて。ということを理解しないと、なかなか動かないという部分があるんです。

 

司会 外山 また、こういうことが本当はあるんですよということをちゃんとわからないと行政も動かないでしょうし・・・・・。

 

崎山 そうですね。三宅島の災害というのはもう終わったと思っている方は本当に多いと思います。だから、もちろん地震は大変な災害なんですが、そのときにいろいろな被害を受けて、その後どうやって復興していくかということですけれども、三宅島の場合は現在も継続中の災害と考えてもいいんです。なので、この三宅島ふるさと再生ネットワーク、例えば東京にいる高齢者の方の訪問活動をやったり、あるいはちょうど2週間後の土曜の31日には板橋区内で「『がんばれ三宅島』帰島5周年 板橋の集い」といったものを開いて、東京に住んでいる島の方に踊りや歌を楽しんでもらいたいと。また、三宅島の現状を報告する会、東京にいると島の情報がなかなか入ってこない。そういったものを報告する会にもしたいということなのです。また、こういう災害のことを考えるために神戸とも交流をしていまして、三宅島ふるさと再生ネットワークの方のメンバーの中には、けさ神戸の東遊園地のほうで追悼集会が行われていますけれども、ああいうところに顔を出して、一緒に灯篭に火をともしたり、あるいは阪神の被災者、遺族の方がいるところで三宅島についても知ってもらいたいと。お互いどういうことがこれからできるか考えようということをやっているんです。

 

司会 外山 どうなのですか。まだ神戸でもいろいろな課題は。

 

崎山 そうですね。だから、もちろん復興した方も、いろいろな意味で復興できた町もあれば人もいると思うし、例えばまだまだ家を失ってしまった人たちの復興住宅という団地が建っていますけれども、そういうところの高齢化の問題というのは、私もちょうど10年目とか、もちろん発生直後も現地に行っているんですけれども、非常に高齢社会を先取りするような孤独死の問題であるとか、そういうことが出ていますし、最近でいうと震災で障害を負ってしまった方というのがクローズアップされて、最近震災障害者というような言い方をされたりするんです。阪神大震災、亡くなった方もたくさんいますが、重傷者の方が1万人いるんです。この1万人が一体その後どういう状況になっているか。もう完全に治って普通の生活を行っているのか。それとも何か障害が残っているかという実態調査は実はないんです。足とか腕をけがした場合は例えば障害見舞金みたいなものが出ますけれども、高次脳機能障害といった脳の障害で体には損傷がないのに、例えばいろいろな知的な活動ができなくなってしまっている、そういった障害の方とかもいて苦しんでいるようなんです。でも、そういったものの実態が把握していない、知られていない。だから、大部分は復興して、神戸もある意味でかなり復興している部分は多いと思うんですが、三宅島とはまた別の形で災害が続いていると言ってもいいのかもしれないんです。
だから、本当に知られること、知られ続けていくことというのは大事だと思います。我々東京に住む人たちにとって、そこからの教訓は、備えをどうするのか。そこはきょうちょっと話す時間はないですけれども、防災をどうしていったらいいのかということにもつながっていくわけです。だから、そのためにも三宅島の災害はまだ続いている。あるいは神戸や兵庫県全体で別の問題、我々が思ってもいなかったような問題が14年たっても今もあるということは知っていたほうがいいと思うんです。

 

司会 外山 崎山記者でした。

 

―― 了 ――

 

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