NHKラジオ第1「ラジオあさいちばん」
2007/05/25
ラジオ出演とその内容
2007年5月24日(木) 7時20分~約7分間放送
・聞き手 木村知義キャスター
・語り手 干川剛史(大妻女子大学人間関係学部教授)
Q.三宅島の噴火からまもなく7年がたとうとしているが、三宅島の復興の現状はどんな様子か?
(*三宅島の産業などの復興状況について)
A.今回の三宅島の火山災害では、住民が4年5ヶ月にわたる長い期間、住んでいた故郷を離れ、北海道から沖縄までの各地でバラバラになって避難生活を送ることを余儀なくされました。これによって、住民の生活が疲弊し、住民同士の絆が解体し、帰島後の住民の生活や地域社会の再建が困難になっています。
避難前には、約3900人いた島の人口は、現在約2900人(2007年3月1日現在、『広報みやけ』)であり、約1000人の人たちが帰島しない、もしくは帰島したくてもできない状況にあります。
その結果、島の高齢化率は40%近く(あのまちこのまち:http://www.gds.ne.jp/scr/disp/disp.cgi?LOC=13)となっています。
また、現在も1日あたり1000t~5000tといった大量の火山ガスが噴出し続け、島内ではガスマスクの常時携帯を義務付けられるという現状は、観光で多くの住民の暮らしが成り立っている三宅島にとっては大きなハンディキャップであり、噴火前と比べて観光客が約8万人から4万人以下へと半減するなど、帰島後の復興プロセスを困難にしています。
Q.復興に向け今何が問題・課題となっているのか?
(*火山ガスの放出が続く中、人口が戻らないなど、いくつかの問題点について)
A.30代から50代にかけての働き盛りの人たちが帰島しない・できないという現実が、島の経済を始めとするあらゆる分野で機能不全をもたらしています。
とりわけ公共的な諸機関・団体(村役場や農協・漁協・商工会など)の機能の低下が、人々のくらしの復興に及ぼしている影響は深刻です。
帰島してがんばっている人の中でも、奥さんや子供を帰島させない「男だけの単身赴任」という生活スタイルも少なくありません。
島の公共や経済を担う中堅のリーダーや女性の補助的労働力が極端に不足し、世帯や経営の担い手の高齢化とあと継ぎ不足から来る経営継続の困難など、農業や漁業、民宿の経営や福祉の分野まで、少なからぬ影響が現れています。
Q.そうした中、復興に向けどんな取り組みが始まっているのか?
A. 帰島した島の人々は、観光や産業、福祉などの各分野で、島の現状を「何とかしたい」と考え、生活や経済の復興などさまざまな努力を始めています。
例えば、「三宅ハート会」は、地域の農家を組織して毎日50パックの明日葉を東京のスーパーに出荷するシステムを作ったり、地場の農産物をお店に置いたりお惣菜に加工したりして、小さな地域経済を創造しています。お店には食堂があってご近所の集いの場になっています。
また、「三宅島災害・東京ボランティア支援センター」が三宅島内の阿古地区に開設した「風の家」は、地域の中で少し支援が必要な高齢者や知的障害者の方たちと元気な地域の人たちとが、一緒に食事を作ったり歌を歌ったりして、みんなで楽しく過ごす場所となっています。これこそまさに「介護予防事業」であると言えるでしょう。
Q.①三宅島を火山学習・研修の場として活用
②人材の受け入れ体制整備
③三宅高校火山・防災科設立の動きについて。これらの意図・狙い、取り組み状況について
①三宅島を火山学習・研修の場として活用する取り組みについては、首相官邸「都市再生本部」の平成18年度『都市再生モデル調査事業』「三宅島の火山等の現状を活かした地震・火山、危機管理、防災まちづくり等の学習拠点としての観光立島」を実施する中で提案されています。
このモデル調査事業は、昨年度、NPO法人「海洋研修センター」が構想・企画し、三宅村の推薦の下に、首相官邸「都市再生本部」に申請して採択され、三宅島の観光協会・商工会・漁協・農協等と連携して実施されました。
この調査の目的は、過去4回にわたる噴火経験の語り手を見つけることなどにより、三宅島を企業や自治体等の危機管理者の研修の場にして、島外から研修者が年間を通じて来島するようにし、観光業を中心とした島内の経済活性化を図ろうというものです。
また、噴火の跡も含めた三宅島内外の自然を、大学生や中高生の火山・地震体験学習や海洋レジャー体験学習の場や観光資源にしたり、三宅島内の民宿・ペンションが地元で採れた農作物や魚介類を宿泊客に提供したりすることなどを通じて、来島者を増やすことも視野に入れてモデル調査事業が実施されました。そして、このモデル調査事業の実施結果は、報告書にまとめられています。
ちなみに、大学生の火山・地震体験学習や海洋レジャー体験学習へとつながる取り組みとして、大妻女子大学で干川が担当している授業を受講している学生の自由参加による三宅島での現地見学学習が行われています。
すでに、この現地見学学習は、4月28日・29日に1年生10名が参加して実施され、また、今週5月26日・27日にも2年生25名が参加して実施される予定です。
②人材の受け入れ体制整備については、昨年度実施したモデル調査事業の中心メンバーである、「早稲田エコステーション研究所」の藤村望洋(ふじむら ぼうよう)さんと「パルシステム生協連合会」の五辻活(いつつじ めぐみ)さんと干川が、事業計画案を作成し、事業の実施主体となる東京都と三宅村の承諾を得た上で、国土交通省「地域における人材の受け入れ体制の整備支援モデル事業」に申請をしているところです。
そのために、今月5月11日・12日にかけて、この3人が、計画案を携えて三宅島に行き、昨年度のモデル調査事業でご協力をいただいた、三宅村・東京都三宅支庁・三宅島観光協会・三宅村商工会・三宅島漁業組合・都立三宅高校・気象庁三宅島測候所などの行政機関・教育機関・各種団体の関係者や三宅村議会議員さんたちなどと、このモデル事業について意見交換し、その実施方針についてご了解を得た上で、事業を実施するための枠組みをつくりました。
事業計画が採択されれば、それら島内の行政機関・教育機関・各種団体や島外の各種団体・学会・専門家などと協議会をつくり、今年7月からモデル事業を実施する予定です。
この事業計画の内容としては、まず、一つ目として、1.島内における人材ニーズの調査と島外人材との多様なマッチング機会づくり。つまり、①地域共同体を最低限維持するために必要な行政や福祉などの分野での人材や②観光や農水産業・商工業といった地域産業を活性化するための中核となる人材について、どのような人材が必要とされているかを聞き取り調査等によって明らかにする予定です。
それと並行して、三宅島への移住ガイダンスや体験ツアーを島内外で実施して、また、インターネットを活用して、島内で働く機会やそれに関する情報を希望者に提供します。
次に、2.新たな人材の受け入れによる地域ビジネスの立ち上げや地域資源を活用した産業の活性化。つまり、各種マリンスポーツや自然体験等の分野の人材受け入れや「トビウオだし」等の特産物の商品開発・流通ルートの開拓を行います。
3つ目として、3.「Uターン+Iターン連携」による経営継続モデルづくり。つまり、島外の移住・起業希望者(Iターン希望者)と、民宿や漁業等で跡継ぎや資金や人材が確保できず営業が再開できない経営者(Uターン経営者)とをうまく引き合わせて、希望者が、実際に経営に参加して経営者から経営手法を学んで経営を引き継いだり、共同経営を行ったりするモデルケースをつくります。
4つ目として、4.移住・起業希望者の居住条件整備のための調査と提案。つまり、島外の移住・起業希望者が、島内に住もうとしても住宅の確保が困難なため、居住や起業ができないというのが現状であり、こうした状況を解消するために、売却や賃貸可能な土地や空き家の所在と新規の住宅建設の需要について調査を行い、具体的な対策を提案します。
③都立三宅高校の火山防災科新設の動きについては、再来年、平成21年度の開設に向けて東京都教育委員会に働きかけていく予定です。
新設予定の三宅高校の火山防災科のモデルとしては、1995年に発生した阪神・淡路大震災をきっかけとして設立された兵庫県立舞子高校の環境防災科があります。
舞子高校の環境防災科のホームページ(http://www.hyogo-c.ed.jp/~maiko-hs/)に掲載されている授業内容によれば、例えば、1年生の「災害と人間」という科目では、「阪神・淡路大震災を多角的に検証することで、命の大切さ、人とのつながり、助け合いの重要性を理解し」、「自然環境・社会環境から『防災』との関わりについて理解を深める」ことを目標としています。また、授業の方法としては、「大学や関係機関からの外部講師による講義や、校外学習などの実践的・体験的な授業とともに、レポート、発表、ディスカションなどを通じて、生徒同士や自己の評価を行う授業も並行して行って」いるということです。
三宅高校では、このような舞子高校の実例を手本として、火山防災科の設立に取り組んでいます。
私も、災害研究の専門家として、三宅高校の先生方と一緒に、火山防災科設立のためのお手伝いをして行くつもりです。
Q.こうした様々なアイディア・取り組みを進める上での課題とは何か?
A.観光や産業、福祉などの各分野で、島の現状を改善したいと考え、いろいろな努力を始めている三宅島の人々が、今最も必要としている人材は、新しい発想力や斬新な企画力をもって、島内の人々の思いや努力をつないで、新しい仕組みやネットワークを作り出し、地域活性化につなげていく、コーディネーター的な人材です。
これから大量に退職する団塊世代の中で、これまでの経験を活かして地域で何か役に立ちたいという人たちに、こうした取り組みについての情報を提供して働きかけていけば、三宅島で必要とされる能力や知識・技能を持った人材を見つけ出すことができるのではないかと思います。
他方で、長期的な島の将来の担い手づくりを考えた場合に、学校の生徒や大学生などの若者の受け入れ機会をさまざまな形で作り出していくことは、将来の島の人材育成という観点から重要です。
例えば、三宅高校に火山防災科を新設し、島外から生徒を募集するだけでなく、各種のマリンスポーツなど自然豊かな環境を資源とした体験教室の開設や、大学で社会福祉を専攻する学生をボランティアや実習という形で、人手不足に悩む三宅島の介護・福祉施設で短期的に受け入れていくことなどが考えられます。
このような教育や体験学習を経て育った若者が、全国各地で地域の活性化の担い手となって貢献し、その何%かが三宅島に帰ってくることも期待されます。
自然豊かな島の環境を魅力と感じて島で暮らしてみたい、何かやりたいと思っている若者はたくさんいます。実際に、最近、三宅島に移り住んできた若者もいます。
そこで、住宅や就労の場の確保など、このような若者が島に定住していく条件を整備することは、島の将来を考えれば必要不可欠です。
Q.こうした三宅島の復興への模索は、火山列島日本の防災にとってどんな意味を持つのか(どんな示唆を与えるのか)?
A.三宅島の場合と同様に、災害が長期化することで深刻な影響を住民の生活や地域社会に及ぼすということが、今後、日本各地で発生する火山災害でも十分に起りうると思います。
しかしながら、このような困難な状況でも、島の現状を改善したいと考え、いろいろな取り組みをしている三宅島の人々がいます。そして、このような三宅島の人たちの取り組みの手助けをしたいという、いろいろな立場の島外の支援者がいます。
昨年から私が関わっている三宅島の復興支援プロジェクトは、このような三宅島内外の志をもったいろいろな立場の人たちが、率直に話し合い、互いにアイディアを出し合い、協力し合うことによって進展してきました。
この三宅島の復興プロジェクトは、始まったばかりで、まだ明確な成果は出ていませんが、今後、日本各地で発生する火山災害の復興モデルの一つとなるのではないでしょうか。また、手本となるような取り組みにして行きたいと思います。