TBSラジオ「人権トゥディ」
2005/09/17
ラジオ出演とその内容
2005年9月17日(土)人権トゥディ「三宅島の復興に必要な支援」
TBSラジオが9月17日午前8時20分より三宅島問題を放送し、佐藤会長と吉田世話人が出演しました。ネットの活動については、NHKラジオに次ぐもので、今後も島民の現状を積極的に紹介していきたいと思っています。
中村 人権をめぐるホットな話題をお伝えする「人権トゥディ」。火山活動に伴う避難指示が解除されて半年たった東京の三宅島ですが、今月初めの三宅村の発表によりますと、2月の時点で3,000人あまりいた住民のうち、3分の2が島に戻って復興に取り組んでいらっしゃいます。
私ももう3回ほどことし行ったんですけれども、皆さんそれぞれの生活を営んでいらっしゃる方、復興活動をしていらっしゃる方、たくさんいらっしゃいます。
その一方で、今なお島に戻っていない人が少なくとも1,000人はいるんです。島に戻らないというふうに決めた方、東京での生活が定着したのでもう島に戻らないと決めた人も中にはいるんですけれども、大部分は帰りたくても帰れないという人たちなんです。
こうした「帰れない」島民を支援する活動を行っている「三宅島ふるさと再生ネットワーク」の会長、佐藤就之(しゅうし)さんにその辺の事情を伺いました。
佐藤 高齢のために、家屋の修繕等がお金がかかってもうできない、借金を息子やなんかに残すわけにいかないということであきらめた人、それから高濃度地区というのがあって、ガスが流れてくるので今住めない状態、立入禁止になったりしているところの島民、それからあと特養老人ホームがまだ再建されてないということで、そこに入っていた100名近い人たちがまだ東京の施設に残っている。
竹下 さまざまな事情があるんですね。
中村 高齢者の方々が多いというのも特徴なんですけれどね。そのほかにも、子供たちに火山ガスの影響があるのではないかということで、親たちが帰島をためらっているという状況もありますし、中には父親だけ仕事の関係で家族と離れて島に戻って、東京と二重生活というか、都心との二重生活になっているという場合もあるんです。
竹下 その「帰れない」島民に、三宅島の現状や情報は伝わっているんですか。
中村 これが最近は少し難しい状況になってきているんです。といいますのも、ことしの2月に避難指示が解除されたときに、半年間の「帰島期限」というのが設けられたんです。これまでは「避難」の支援ということで、住んでいた都営住宅というのは家賃が免除されていたんです。
ところがその帰島期限というのが半年間終わった7月末で免除が打ち切りとなりまして、「帰りたくても帰れない」島民たちはほかに住居を探して引っ越したり、あるいは三宅島から住民票をこっちのほうに移して、家賃が安い都営住宅に改めて入居したりしているんです。
ですから、これまで避難の支援ということで家賃が免除されていたときには都営住宅に割合まとまって住んでいらしたんですけれど、あちこちに散らばってしまったために現状の把握が難しくなっているという状況があるんです。
竹下 そこで「ふるさと再生ネットワーク」などの活動が必要になってきたんですね。具体的にはどういう活動を行なっているんですか。
中村 これは先月からボランティアが1人ひとりたずねていって、島の状況、情報を知らせるという、「ふれあい訪問活動」が始まっているんです。板橋区に住む保育士の吉田志織(しおり)さんはこれまでに10人ほどの方をたずねたそうです。
吉田 「お体はどうですか?」というふうに聞いて、「今こういう感じです」というお話だったりだとか、帰れないさみしさだとかをこちらに話してくれる。それをただ聞くという感じですね。今のところは、訪問をし始めたばかりなので、信頼関係ができてくると会話も弾むと思うのでこれからだと思っています。
中村 こういう訪問活動は始まったばかりなんですけれども、ボランティアの数をふやして、島出身の人の協力も得ていきたいということでした。たずねるときは、新聞の記事のコピーですとか、ネットワークのホームページを印刷したものなどを持っていって、島の情報を伝えているんだそうです。
皆さん、新しい住居に引っ越ししたばかりで周りの状況もよくわからず、島の情報もなかなか入ってこないとなると、大変不安だそうなんです。吉田さんはこういうふうに話していらっしゃいます。
吉田 やはり島だと、外を歩いていれば知り合いに会って、「おーい」と声をかけ合って、「きょうは何をするんだよ」とか、そういう話もできていたのに、こちらに来たらそういうことも全くなくなって、本当にさみしいんだと涙する方もいらっしゃいましたし、生まれ育ってきたところというのは、今住む場所があったとしても、それ以上に大きいものなんだなと感じます。
竹下 避難してもう5年たちますからね。
中村 そうですよね、実際私も三宅島に行ってまわってみると、車でも都心なんかに比べるとはるかに台数が少ないですから、車を走らせてちょっと知り合いを見つけると、すっととめて、窓を開けて、「どうするの、何とか」というふうに声をかけてという、そういうのが日常であるわけですが、それがなくなってしまっているわけですから。
ですから帰れない人たちを結びつけるために、ネットワークでは「電話帳」づくりというのにも取り組んでいるんです。高齢者が多いので、電車で遠くの知り合いのところに出かけるというのは大変ですよね。同じ島の人と電話で話すことができれば不安も安らいで情報も得られるということで、1人ひとりたずねながら、「どこに誰がいる」という情報も集めているんです。
会長の佐藤さんは連絡先のわかった方に1度都内で集まってもらって、「在京三宅会」というようなものができれば大きな力になるのではないかというふうに考えていらっしゃいます。
佐藤 帰りたくても帰れない人がいるという状況をなかなか全国に知らせるのは困難なことなんで、なるたけそういう努力をして、被災者自身が声を上げていくということが皆さん方の支援をさらに呼び込む大事なポイントになるのではないかなと思っております。行政の方にも、ただ島の復興、復興というのではなくて、帰島ができない方に対する温かい支援を心して取り組んでいただきたいな、と思っております。
竹下 帰れない人がまだいるということを「知られる」ことが重要ですね。
中村 そうなんですね、三宅島に戻った島民からも、豊かな自然や観光の情報を発信するホームページ、それから商店の営業再開情報など、生活に必要な身近な情報を載せるページなど、さまざまな情報が発信されているんです。「帰りたくても帰れない人」を支援する「ふるさと再生ネットワーク」と合わせて、「三宅島の復興にはまださまざまな支援が必要だということ」を訴えています。
竹下 「人権TODAY」、東京都人権啓発センターがお送りしました。