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TOKYOFMラジオ出演
2005/02/02

ラジオ出演とその内容

~あの日あの時・帰島前後~

2005年2月1日全島避難解除。その当日、午前9時35分佐藤会長が、帰島した2日午後4時56分よりTOKYOFMラジオの湯野記者が取材・報道をしました。今後もこの災害を風化させないために「あの日あの時」で振り返ってみようと思います。


<2月1日・佐藤就之>

 

ナガタ    日本列島は日本海側を中心に雪が強まっていて、山陽新幹線に最大50分の遅れが出ています。影響で上りの東海道新幹線にも、この後到着時間の遅れの出ることが見込まれます。

その雪も多くなっている新潟県中越地震の被災地川口町で、町の農家を対象に農業を続けるかどうかの意向を調べたところ、続けると答えたのは全体のおよそ半数にとどまり、13%の世帯が農業をやめたいと答えたことがわかりました。

 

佐藤     12月末までの三宅島島民連絡会の会長をやっておりまして、佐藤就之といいます。帰島準備で今、荷物を詰め込んでいるところなんですけれど。


ナガタ    東京FMが見つけるもう1つのニュース、Flowers。


およそ4年5カ月ぶりです。火山活動により避難を余儀なくされていた三宅島の避難指示が解除され、今夜出発式が行われます。18の都市に分散して暮らす三宅島島民の声を束ねてきた三宅島島民連絡会会長、佐藤就之さんに今の心境を伺いました。


佐藤    いつ帰れるかわからないということで、非常に長く感じましたね。10年ぐらい、もういたんじゃないかというような感じで、非常に心身ともにくたびれたというのが実情ですね。特に帰るたびに家屋がどんどん傷んだり、畑が荒れ果てたりした状況を見ますと、帰った後のことも困難だし、これがガスがとまって、いよいよ噴火災害も終わったということで帰ると、みんな喜びで希望を持って帰ることができるんですが、実際にはまだ45%制限された地区がある中での生活ですから、まだまだ大変です。

それ以外に、農業はまだちょっと2、3年再開に時間がかかりますし、そうなりますとやはり民宿を早く見通しをつけてあげなければいけませんから、1人でも多くの観光客に来てもらうということがまず出発点だろうと思います。


ナガタ    4年半の空白期間を経て、三宅島の復興がスタートします。5月には三宅島の観光が再開される予定です。以上、報道情報センター、ナガタがお伝えしました。

-- Flowers for you from 東京FM 80。


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<2月2日・湯野記者>


スギマル    避難指示が解除された三宅島で、島に帰る人たちの第1陣がけさ到着し、村民の生活再建が始まりました。しかしまだ火山ガスがおさまったわけではなく、住民は今後、ガスマスクを常に携帯しながらの生活になります。それでは現地三宅島からユノ記者に伝えてもらいます。


ユノ    私は今スギマルさんから紹介がありましたガスマスクをつけて話しているんです。ただ、きょう火山ガスの濃度が濃くなったのは朝の一度だけでした。そのため私が今つけていますガスマスクを使う機会は、そのとき一度だけでした。ではガスマスクをはずしてみましょう。

けさ、三宅島の島民第1陣、62人が島に戻ってきたわけですが、その中の1人、69歳の男性、佐藤就之さんの自宅に伺いました。佐藤さんがけさ自宅に戻ったときは、実は家の中は真っ暗。といいますのも、電気がまだ使えなかったからなんです。

私が伺った2時すぎに東京電力の方が点検に来て、ようやく電気が使えるようになったんですが、明るい蛍光灯がついたとき、佐藤さんの顔からうれしそうな笑みがこぼれました。その佐藤さんが家に帰ってまずしたのは、すべての窓を開けて空気を入れかえること。その後、畳が傷んでいないかを調べたり、地震で壊れたお風呂場の修理費用を見積もってもらったり、さらには庭にミカンの木を植えたりしたそうです。佐藤さんは「三宅島の噴火で多くの自然が破壊されたけれど、例えば枯れた木に緑のツタが生い茂ったりするなど、自然はどんどん再生しているなと感じました。そんな自然の回復の早さに負けないように、これから頑張っていきます」、そう最後に話してくれました。


以上、三宅島から報道情報センター、ユノでした。

 

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